クズと呼ばれた俺の快進撃!!だと思う。〜⑦

物の見事に崩れて行った俺の人生設計。

なんでこうなった?こんなハズじゃなかったはず。

こんな事を考えてる間にもズレた歯車は更にズレて行き、転がるスピードが止まらない。まるで雪崩・・・

嫁とは離婚。夢のマイホームも借金のみ。残ったのはトラック・・・。

日々の生活は全てトラックで過ごした。いわゆるホームレス。でも、雨風はしのげる。よく言えば移動式ワンルーム(; ̄ェ ̄)

体力的にも精神的にも崩壊寸前

『死にたい』とも考えられない状況。完全なる抜け殻。

そんな中知り合った女性。それが今の嫁・・・。同じ運送業で俺より大きいトラックを乗りながら子供を育てるシングルマザー。

初めて会った時はまるでギャル。冗談でも俺のタイプではない。

でも、話をするうちに不思議と惹かれた。その理由は、俺の考え方と真逆な人間だからかもしれない。

極端な人間で、物事を難しく考えない。『やりたい事やればいいじゃん!』って簡単に話す人。

そんな今の嫁の話はまたの機会に・・・。

家の借金、トラックの借金、養育費、他いっぱいの借金を抱えながら生活している中で何かしないと、何も変わらないとずっと考えてた俺・・・。

そーだ・・・農業やろうっ!(((o(*゚▽゚*)o)))

思いたったらすぐ行動*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*⭐︎

クズと呼ばれた俺の快進撃!!だと思う・・・〜⑥

時間的自由、金銭的自由を手にした気になった俺は、次のステップを考えていた。

が、そんなに人生は甘くなかった・・・

やはり人は自分と同じように動いてはくれないのだ・・・

俺は10数年間、仕事に明け暮れた人間だ。しかし予想以上に動けないのだ・・・驚くほどに・・・自分の感覚とこうも違うと赤ちゃんのように思える。

今考えたら当たり前の事かもしれない。今まで違う環境で生きて来た人間がテレビを動かすみたいにリモコンもないのに動く訳がない。

でも、人を雇った事がない俺にはそんな事もわからなかった。人に教えながら、教え方を教わってた毎日。

もちろん時間も一人で動いてる時よりない。(T . T)

教えた通りに動いてくれないから結局俺が走ったり、荷物を作る手伝い。

どんどん時間がなくなっていき・・・あまりにも出来ない運転手を目の前に精神的『余裕』もなくなり、売上も上がらずに赤字になり、とどめに事故3連チャン!(泣)

それも、1週間って短い期間で。(; ̄ェ ̄)

あっと言う間にやる気も、金もなくなりました。

ただっ!こんな俺にも残っていた物があったんです!( ´ ▽ ` )ノ⭐︎

それは・・・喪失感と・・・ストレス。

そして、身内からの半端ないクレーム。(泣)

俺・・・何やってんだろう・・・( ? _ ? )

クズと呼ばれた俺の快進撃!!!だと思う〜⑤

俺は10数年間いわゆる持ち込みドライバーってやつで、ずっと一匹オオカミでワッパを転がしてきた。

何故かと言うと気が楽だからだ。

好きなように仕事をとり、好きなように仕事し、仕事でミスれば自分の責任。

他人のせいにしたりしなくていいから、いがみあう事もない。

どうしても会社の中にいると与えられた仕事をやらなければいけなかったり、あいつのせいだとか、こいつのせいだと責任をなすりつけあったりと、とにかくめんどくさい( ´Д`)y━・~~

なのでひとりが気楽なのだ。

ただデメリットもあって、仕事を休みたくても、用事があっても、親が死んでも仕事が待ってます。

そこで、初めて運送で事業を起こす事を決意!

自分が社長になってしまえばいいのだ!

発動です・・・(((o(*゚▽゚*)o)))

お客さんからは信頼があったため、『俺、運送屋で事業起こしたい』と言うとすぐに協力してもらえる事になり、すぐに動き出した・・・とりあえずトラックと人が居ないと話にならないので、運転手を三人見つけて二台のトラックを死に物狂いで買ってきた。

三台でスタートです。

俺は計画通りにトラックを降りました・・・まだ法人化はしてなかったものの、念願の時間とお金を手に入れた!!

はずだった・・・

クズと呼ばれた俺の快進撃!!!〜④

あまりにも家にフォーカスしたような気がするが、実際家が建ってみると最初は素晴らしいと、満足してたが日が経つにつれて少しずつ感動は薄れていき、住宅ローンもしこたまあるので、徐々に仕事も増やしていかないと経済的にも厳しいものとなっていき、来る日も来る日も仕事をブチ込み趣味や遊びは二の次で、二人の子供が居たのだが、一年中ほったらかしで、そんな一側面の姿を見る人は、『よく働くねぇ』とか『立派だねぇ』とか言われていて、俺も馬車馬のごとく働くことは嫌いではなかった。

しかし、ある時気付いた!

なんのために生きてるのか、よくワカラナイ状態になっていたのだ。

人間とは恐ろしいもので、働くことが習慣化して、世間の人もほとんどの人がなんの疑いもなく朝から晩まで重労働している。

働くことが素晴らしいと思っていた・・・

だが人生の目覚まし時計が鳴り、違和感を覚えるようになり、自分の趣味に費やす時間だったり、子供達と沢山遊んだり本当に時間とお金が欲しいと思うようになった。

そこで、いつもの行動力が発動だ・・・(((o(*゚▽゚*)o)))

つまらん毎日にピリオドを打つべく、勝負に出るのである・・・

クズと呼ばれた俺の快進撃!!!〜③

ガラガラと抽選器を回してみます・・・

すると赤い玉がこぼれ落ちました。

当選確定でした。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

すぐに俺は建築士に連絡すると、すぐに手当たり次第にローンの審査に入りました。

俺は自営業だったから、非常にローンの審査が通りにくかった・・・

この土地に家を建てると3800万円・・・俺の様なクズにそんなに貸してくれる銀行があるのだろうか・???

5件の銀行に申し込み、またもドキドキしながら審査を待つ。

ひとつずつ審査におとされる・・・

最後の1件・・・どうにかギリギリ審査通過。

絶対無理だと思っていた家を建てる権利を手にすることができたのです!!!

この時の学びは、『ぜっっっっっっっったい諦めない』気持ちがあれば願いは叶う。ということ。

俺の執着心が、じぶんの好きな家を設計してもらい、そして自分の好きな家に住む世界に連れて行きました。

今になって思うのは、俺のようなクズでも行動力や諦めない気持ちやイマジネーションで、違う世界に自分を連れて行くことは可能だ。ということです。

家を建てたのが良かったか悪かったかは別としてですけど・・・(*_*)

次回は欲しいものを手に入れた後はどうなったか。

を書いていきます。

クズと呼ばれた俺の快進撃!!〜②

35年ローンの借金を抱えた俺は、後のことなど一切考えていなかった・・・。これが欲しいとか、これがやりたいとか、考え始めると、居ても立っても居られない性分でして・・・^_^;

今となっては、無謀な行為であったと思いますね。

わかる人にはわかると思いますが、モデルハウスを見に行くとテンション上がりますよね??

俺がほしかったのは注文住宅だったので、その日から土地を探しまくりました。ローンが通る見込みもなかったが、手に入れることしか考えてなかった。

土地を探しながらローンの審査に挑み、ことごとく審査に落ちまくり、もう諦めムードになっていた矢先の出来事・・

素晴らしい土地を発見した・・・

一目惚れした俺は、すぐにその土地を調べてみると保留地購買?

と言う物件らしく不動産会社からではなく市から購入する、というような物件で、なにやら抽選で当たったら買えるとのこと・・・

早速、抽選会当日に会場へ行ってみると人はまばらで俺が申し込みした土地には6人くらいしか申し込みがなく

『これはもしかして・・・』と期待で心が躍りった。

意外にも昔ながらのガラガラと回して色の付いた玉がでてくる手法で、俺の番がきて胸をドキドキしながら回してみる・・・

運命の分かれ道である。

クズと呼ばれた俺の快進撃!!

まずはこの題名。みんな一度は呼ばれたり、自分で思った事がきっとあるはず。

自分はやっぱりその一人で10代は暴走族・・・これじゃマズイと気付いて始めた仕事はトラックを自分で購入して『償却』と言う形の商売。

人との交流をするのが苦手な自分には持ってこいの事業だと思った。

・・・が、確かに事業をやり始めた時はそれなりに大変な事もあったがトラックを買って支払いもあるし、結婚して子供も生まれた事もあって・・・と必死!間違えてないと思ってた。

事業始めたのが23歳の頃。まだまだ若い。

体力もある。トラックを飾る事しか考えて無い。

いわゆる『デコトラ』って言う物。何十万もする飾りを付ける事に毎日頑張ってた。同じ世界の仲間と集まって話をしたり、イベントに行ったり・・・。

こんな生活をしてた10年後・・・(泣)

自宅ポストに家のチラシ・・・。

俺、33歳。チラシに載ってた家に惚れた俺は・・・『欲しいなぁ』。

思い立ったらすぐ行動!(笑)色んな展示場に足を運んで、いっぱい家を見た。設計士との設計計画。家のモデルを見ながら作り上げた家が出来たのが35歳。

3800万の35年ローン。(泣)それでも、夢のマイホーム!嬉しかった!事業も軌道に乗って生活も安定。このまま何事もなく行くと思ってた。

・・・が、そうはさせてくれ無いのが人生。

『人生色々』とか、『山あり谷あり』日本には本当に色んな言葉がある。誰が考えたんだろう。その人の人生は一体何があったんだろう。

そして、俺の人生は・・・。